肺分画症
 2010年の9月、僕は肺分画症で左肺葉切除手術を受けました。肺分画症と診断されたときは、いったいどういう手術を受けるのかなどの情報をインターネットで調べようとしましたが、あまり多くの情報は得られませんでした。特に同じような手術を受けたひとの体験談などを読みたかったのですが、あまり見つかりませんでした。そこで、これから肺分画症の手術を受ける人の参考になればと思い、自分の場合の症状や、手術前後の様子などを思い出して書いてみようと思います。

 まず最初の症状ですが、2009年の秋くらいから飲酒後に時々発熱するようになりました。だいたい37度5分くらいから、ときには38度にもなります。しかし風邪の発熱のような悪寒はありませんし、次の日の朝には熱は下がっていました。このときは、ただ疲れて体調が悪いのかなくらいに思っていました。

 2010年5月、ある朝起きると、胸に痛みがある。息を深く吸おうとすると胸がズキンと痛い。そのときは寝相が悪くてそうなってしまったのかな、と思いました。ちょっと変だなとは思ったのですが、3〜4日するうちに痛みが引いたので、まあ大丈夫だろうと思ってました。

 6月、軽い咳が出始める。ごく軽いもので、風邪のように熱が出て体調が悪いということがなかったので、最初はあまり気にしてませんでした。(ちなみに痰は出ませんでした。)しかし、1ヶ月経っても咳が治まらないので、何だかおかしいなと思い始めました。7月、ちょうど区の無料健康診断の時期だったので、そこで医者に相談してみることに。無料検診で胸のレントゲンを撮ってみると、肺の左下部分が白っぽく靄がかかったように写っていて、先生からちょっと影があると指摘される。前年の画像と比べてみても、明らかに違っています。無料検診では正面から1枚しか撮影しないので、有料だけど念のためもう一枚横から撮ってみましょうということになり、撮ってみたところ、まあ大丈夫でしょうということでした。ただ咳が続いていて気になるので、抗生剤(確かクラリシッド)を6日分ほど出してもらいました。もしかしたら軽い百日咳かなと思っていました。

 抗生物質を2〜3日飲んでも一向に良くならないので、ネットで近所の呼吸器科のある病院を調べ、相談してみることに。しかし、気管支炎かもしれないし、今出されている薬をとりあえず飲み続けて、もう少し様子と見てくれということだった。飲酒後に発熱することを医者に聞いてみると、飲酒後には検温しないものだと言われ、あまり相手にしてくれない。

 抗生物質を飲み続けても良くならないので、また先日行った近所の呼吸器科へ。今度は違う先生だった。血液検査にレントゲンとCTスキャンを撮り、今度はちゃんと調べてくれている感じ。結果は特に心配は無いでしょうというものだった。やはり肺の左下部分が同じように白っぽく写っていたので、それについて聞いてみると、横隔膜ヘルニアで、特に症状が無ければ全く問題はありませんと言われた。アレルギーの血液検査をして、また抗生物質とその他咳止めやら痰を出す薬やらを処方され、2週間薬を飲んで、良くならなかったらまた来てくれとのこと。CTスキャンまで撮って心配ないと言われたのだから、大丈夫かなと少し安心したものの、帰りに薬局で同じ抗生物質(クラリシッド)が処方されていることを知り、ちょっと心配になる。約1週間飲んで効き目が無かった抗生物質をまた2週間も飲んでもはたして効くのかな?と。

 この頃酒を飲まなくても微熱が出ることが多くなり、特に仕事で疲れると8度くらい発熱する。次の日には微熱くらいには下がるのだが。咳は徐々にひどくなって来ている。更にこの頃から寝汗がひどくなる。朝起きるとパジャマが汗でびしょびしょ。布団も濡れてしまうので、バスタオルなど敷いて寝ることにする。毎日布団を干さなくてはならない。普段だいたい56〜57kgだった体重が急に下がり始め、52kgまで落ちてしまった。肺の病気についてネットや本でいろいろと調べているが、どうも怪しいのは結核と肺がんだ。あるときはやはり38度以上熱が出て、その日は夜寝ているときに左脇腹から背中にかけてかなり痛みがあった。これはちょっとまずいことになっているとマジに心配になって来た。

 2週間薬を飲んだものの一向に良くならないので、また病院へ。すると先生がCTの画像を良く見直したところ、親指の第一関節くらいの大きさの腫瘤があるようだと言う。大きい病院を紹介するから精密検査を受けてくれということだった。血液検査の結果、結核ではないらしい。ということは、がん?CTを撮ったのは2週間も前なのに今頃になってそんなことを言うなんて。この2週間で症状はかなり悪化して来ている。もっと最初からちゃんと画像を見てくれれば良かったのに、と頭に来たが、まあ今更仕方ない。それよりもショックの方が大きかったかな。肺がんについての本を何冊か読んでみると、肺にできた腫瘍の95%は悪性だそうだ。肺がんは進行するまで自覚症状が殆ど無くて、症状が出て発見された時には既にかなり進行していて末期のことが多いらしい。読めば読む程これは肺がんじゃないかと思えて来る。落ち込むのを通り過ぎて、何だか全てのものが突然自分と関係無くなったような、変な気分でした。これで死ぬんだな、と思いました。

 8月中旬、紹介された東大付属病院の呼吸器内科を受診。血液検査とレントゲンを撮る。左肺の下の一部分がつぶれていると言われる。つまり空気が入っていないらしい。血液検査の結果、腫瘍マーカー(がんがあると上昇するもの)のひとつであるCEAというのが基準値よりも高い。詳しいことは精密検査をしないと分からないが、肺のつぶれている部分に通じる気管の途中に腫瘍があり、それが気管を塞ぐことで通気が遮られている可能性があるとのことだ。精密検査は主に2つ。気管支鏡検査と造影CTというもの。気管支鏡検査とは胃カメラのようなものを気管に入れ、内部の様子を見たり、組織を一部採ってがんがあるかどうか調べたり、気管支の中に生理食塩水を注入し、それを回収して細胞の検査をしたりするらしい。造影CTは造影剤を注射しながらCTを撮り、がんのリンパへの進行状態などを調べるらしい。(もちろん僕には専門的なことは分からないので、大雑把な知識で、間違いもあるかもしれません。)検査は何かあった時のため入院して受けた方が良いということなので、早速入院の予約手続きをしてもらう。担当の先生は説明も分かり易く、非常に良心的。

 入院の予定は直前(2〜3日前)にならないと確定しない。東大病院はとにかく混んでいる。自分のスケジュールはなんとか調整するとして、一番早くできそうな日程をお願いしておいた。結局最初の外来受診の1週間ほど後の予定が取れ、8月17日〜19日まで入院して検査を受けることになった。まずいことに19・20日は自分のバンドのレコーディング日。レコーディングまでまるまる2日間楽器を弾けないことになってしまった。しかし、この際仕方ない。とにかく早く検査をするに越したことは無い。

 検査入院当日、朝入院手続きを済ませて指定された病棟へ。部屋は4人部屋。病室は比較的新しく、綺麗で明るい。何かと不安でどうも緊張してしまう。同室の人たちがとてもいい人たちで、それぞれ自分のベッドのカーテンを開け放しており、そのせいで部屋が明るく、いろいろと話をすることでリラックスできてとても助かった。入院前は個室の方が良いのかと思っていたが、実際入院してみると僕は相部屋で良かったと思う。同室の人が良い人だったせいもあると思うが、やはりひとりでは気分も暗くなってしまうだろう。造影CTは気分が悪くなることもあると言われたが、特にそんなこともなく、あっというまに終わり。造影剤や抗生剤を入れるための点滴の入り口の細いプラスチックの管がなかなか上手く入れてもらえず、5回も失敗して痛かったくらい。

 2日目にいよいよ気管支鏡検査。検査室に入り、まずはのどの麻酔用のドロッとした液を口に入れ、のどのあたりにしばらく溜めておくようにする。これをしっかりやっておくと楽なんだそうな。それが済むと、ベッドに仰向けに寝てマウスピースを口にくわえ、検査が始まる。さっきの麻酔が効いたのか、「一番苦しいところは過ぎましたよ」、と言われた時も、特に苦しくはなかった。カメラを入れて麻酔の薬をスプレーしては奥に進めて行くのだが、麻酔をスプレーされるたびに咳き込んでしまう。咳をしないで下さいと言われているが、どうにも我慢できない、というか、反射的に咳が出てしまう。これがかなり苦しい。目の上には布が掛けられているので、自分の気管支の中をモニターで見ることはできなかった。どんどんスプレーをしながら奥にカメラを進め、あちこち順番に観察している様子。そして最後に水を注入し、吸引。これがまた最高に苦しかった。呼吸はできるのだが、水が入った瞬間に体がびっくりして反応し、めちゃくちゃ咳き込む。溺れたことは無いが、溺れるというのはこういう感じなんだろうか、と思った。緊張して何分くらい検査をやっていたのか分からないが、20分くらいかな?まあ、とにかく咳が出るのが苦しくて、もうやりたくない感じ。吐き気はしなかったけど。

 検査の結果は1週間後なので、それまではとにかく不安でした。まあ、もう肺がんだったらまず助からないと思っていたので、開き直った気分でもありましたが。ちなみにレコーディングは予定通り強行。開始時間を遅らせてもらい、病院から退院して家に楽器を取りに戻り、そのままスタジオへ出掛けました。気管支鏡検査の後はのどが荒れるので咳が出易くなると聞いていましたが、幸い咳がひどくなったのは3日後からでした。念入りに練習して完璧なコンディションでレコーディングに望むつもりが、2日間も楽器に触ることもできず、微熱もあり、咳も出るといった最悪の状況になってしまいました。しかし、まだレコーディングできるだけ幸運だったんだと思うことにしました。とにかくできることを精一杯やろうと。

 1週間後に先生から電話があり、とりあえず肺がんは見つからなかったと教えてもらえました。この3週間程は、もうがんで死ぬんだなと思っていたので、ほっと一安心しましたね。肺がんではなかったということ、それに、先生がわざわざ電話して早く教えてくれたことが嬉しかったです。さて、ではいったい何なのか?相変わらず熱はあるし、咳は出るし、寝汗がひどいのは変わりません。次の外来で検査の結果を聞きましたが、肺分画症だろうということでした。肺分画症についてはネットでも調べられるので、ここでは説明はしませんが、割と珍しい病気のようです。要するに僕は肺分画症であり、その分画肺が肺炎を起こしているということでした。肺分画症は先天的なもので、子供のころに見つかるか、もしくは40代くらいになって肺炎を起こし発覚するケースがあるそうです。僕のはまさに後者でした。治療にはその悪くなった分画肺を手術で取るしかないらしいです。という訳で、こんどは呼吸器外科に移り、手術をすることとなりました。

 この頃呼吸器内科で処方されたクラビットという抗生物質が僕には良く効きました。以前処方されたクラリシッドとたぶん同じタイプの薬だと思いますが、成分の量が違うのかも。薬の粒も大きかったし。それを飲み始めた日から、驚いたことに寝汗がぴたっと止まりました。熱も出ない。他にも咳止めやら、痰を出す薬やら、胃を守る薬などいろいろ処方されましたが、そもそも痰は最初から出ていないし、仕事の時だけ咳止めを飲むなどしていました。とにかくクラビットの効き目に驚いたのを覚えています。

 その後8月末に呼吸器外科を外来受診して、呼吸機能の検査や、心電図などの検査をしてから、手術の簡単な説明を受け、手術入院の予定を決めた。手術は難しいものですか?と聞いてみると、「簡単です」と一言。ただし、分画肺には大動脈から太い動脈が2本繋がっていて、それらを縛って止めなくてはならないのが多少心配なのだそうだ。そういった異常血管は正常な血管よりもろくて切れ易いらしい。万が一切れてしまうと大出血になるので、すぐに対処できるように開胸手術にするということでした。帰りに入院前に揃えておくもののリストや、入院中の大まかな予定表などをもらう。とても不安だが、もうやるしかないんだから、と自分に言い聞かせる。

 9月9日から手術のため入院。手術の2日前には麻酔、輸血、手術に関するいろいろな説明を受けたくさんの同意書にサインをする。説明は合併症や死亡なども含めたあらゆる可能性についてで、聞いていると怖くなるが、今更「じゃあやめます」とは言えませんよね。手術の内容はというと、左側の肺の3つある肺葉のうち一番下の肺葉を肺炎を起こしている分画肺と一緒に取るらしい。癒着している可能性が高く、分画肺だけを取るよりも、下葉ごと取った方が安全とのこと。肺葉をひとつ取っても呼吸機能にはさほど問題は無いらしい。肋骨も一本切るそうだ。

 暇な時間に病院の売店であらかじめ準備しておく物をリストを見ながら買いそろえる。紙おむつやら、T字帯といういわばふんどし、吸い飲み、胸帯など。あんなふんどしやら、おむつやらしなくてはならないかと思うと、気が滅入って来る。一番高価なのがコーチ2という呼吸訓練器。これは結局買わなくても良かったかも。実際あまり使わなかった。

 入院中は6時起床、8時朝食、12時昼食、18時夕食で、21時消灯。手術前は何もすることがなく、病院内を散歩したり、本を読んだり、テレビを見たり。今回は本来入るはずの病室のベッドに空きが無く、一時的に違う病室に入ることになった。病室は5人部屋で、みんなカーテンを締めている。幸い僕のベッドは窓際で明るかった。手術後は別の部屋に移るそうだ。

 手術前日は電気シェーバーを渡されて、自分で脇毛を剃る。夕方、腕に点滴用のチューブを入れられる。前回検査入院の時はなかなか入らずに痛かったが、今回の先生は上手いらしく(自分で上手いから大丈夫と言っていた)、一発で成功。夕食後に軽い下剤のような薬を飲んだ。

 手術当日、トイレを済ませ、手術用の服に着替え、朝8時20分頃病室を出て手術室へ向かう。手術室は何だか近未来的な感じでカッコイイ。カメラを持って来て写真を撮りたかったなあなどと思う。まず手術台に載り、体に布を掛けられて、今まで着ていた服を全部脱がされる。それから麻酔。硬膜外麻酔というもので、まず背中の脊髄の上の皮膚に麻酔の注射をする。その後に麻酔用の針を脊髄に刺し、麻酔薬を注入するためのチューブを硬膜外部分に入れる。最初の麻酔が効いているので痛くはないが、ちょっと怖い。その後、手術台に寝て、麻酔を口から吸入。あっという間に意識を失う。

 午後1時半、夢を見ているような寝ぼけた感じから、名前を呼ばれ、「終わりましたよ」と言われて、目が覚める。ぼんやりした意識のまま、ICUに運ばれ、ベッドに寝かされる。足には血液の循環を良くするための空気で圧迫を繰り返すようなマッサージ機器が付けられている。これはたぶん手術中から装着されていたのだろう。背中の硬膜外麻酔のチューブには痛み止めの薬の入ったボトルが繋がれている。尿道にはチューブが入っていて、トイレにいかなくても尿が出せるようになっている、というか知らないうちに尿が出ているらしい。胸には心電図のセンサーみたいなものが付けられているし、何だかいろいろなものが付けられていて、モニターされているようだ。次々と痛み止めやら抗生剤やらの点滴が行われている。胸の左下部分にはドレーンというチューブが入っていて、トマトジュースのような液が流れ出ている。とにかく痛くて全く動けない。発熱しているのか、すごく汗をかいた。2時間おきに看護師さんが来て体の向きを変えられるのだが、これがとんでもなく痛い。血圧がかなり低くなってしまい、モニターが警報音を1時間ごとに鳴らして、うるさい。低血圧のせいで、痛み止めの点滴を予定通りできなくなってしまったらしい。いろんな薬を点滴されたが、中には気分が悪くなるものもあった。夜中は痛みでほとんど眠れず、いつまでたっても時間が進まない。夜がとんでもなく長かった。

 次の日の昼過ぎにICUから普通の病室に移される。今度は2人部屋で割と狭い。相変わらず点滴もしているし、ドレーンは付いているし、背中に痛み止めのチューブが入っていて、首からそこに繋がったボトルをぶら下げている。尿道にもまだチューブが入っている。何と言っても不気味なのはドレーンだ。相変わらずトマトジュース的なものが胸から流出し続けており、ドレーンの先についているケースにどんどん溜まって行く。体を傾けると胸から赤い液がドレーンに流れ出す。痛みはかなり激しい。手術で切ったところは左脇から肩甲骨に沿って背中の中央に向かい約23センチ。傷が痛いのはもちろんだが、なぜか体の左前面の胸から腹にかけてしびれているような痛みがある。手術の時に、作業スペースを確保するため、肋骨を一本切っているので、その骨折の痛みがひどいのかもしれない。痛くてほとんど体を動かせない。あと咳ができない。手術後は積極的に咳をして痰を出した方がよいとされているが、咳なんてとても痛くてできない。たまに唾液が何かの拍子にのどに入ってくると、もう最悪である。体は反射的にそれをのどから出そうとするのだが、ほんのちょっとでも咳払いをしようものなら激痛が走る。あまりに痛いのでまんぞくに咳払いができず、するとのどに入った唾液も出せず、しばらくの間激痛に苦しみながらなるべく軽く小刻みに息を吐いて、のどに入ったつばが出るのを待つことになる。これがもう地獄の苦しみなのだ。普段は無意識のうちにのどに入った異物を軽い咳払いで出しているらしいことがよく分かった。 ほこりやお茶に残っている茶葉の粉なども、よくのどに入ってしまう。

 午後、看護師さんに付き添われて廊下を一回り歩く。もちろん点滴やらドレーンやら尿の袋やら一式繋がったまま。歩けないことはないが、やはりまだ相当きつい。術後は体を動かした方が良いらしい。左腕が上がらなくなると困るので、たびたび腕を上げ下げするようにと先生に言われる。腕はとりあえず問題なく上がる。手術では結局分画肺のみを切り取れたそうだ。したがって呼吸機能は以前通りに戻るはずらしい。幸い大量の出血も起こらず、輸血もせずに済んだそうだ。

 夜眠るときに体を横にするのが痛くて大変である。仰向けに寝ると背中の傷が圧迫されて痛いし、かといってずっと横を向いているのもつらい。結局あまり眠れない。朝は体を起こそうとしても、自力では全く起き上がれない。ベッドの電動のスイッチを入れ、なんとか起こしてもらう。自力で起き上がれるようになるまで4日以上はかかった。それもベッドの手すりを使ってやっと起き上がる感じ。腹筋に力が入らないし、力を入れると痛い。左側の腹筋は麻痺してしまっているようで、まるで力が入らないし、手術前は締まっていた感じだったのが、緩んでしまったのか不気味にふくれている。肋骨を切ったときに肋間神経も切ってしまっていることと、手術中長時間肋骨の間を押し広げていたため、周辺の神経が痛んでしまい、神経痛などの影響が出ていると思われる。この神経痛が傷の痛みよりもずっと痛い。胸回りには手術後常に胸帯を巻いている。傷にはガーゼが当てられているだけで、毎日様子をチェックするが、特に薬を塗ったり消毒したりはしない。その方が治りが早いんだそうだ。

 食事は手術の次の日の昼から再開し、夜には普通食に戻ったと思う。普通に食事できるのはありがたいが、気管に入り込まないよう、恐る恐る食べないといけない。

 手術から2日後、ドレーンや尿道に入っているチューブ、背中に入っている痛み止め用のチューブ、腕に入っている点滴用のチューブが抜けて、やっと自由になった感じがした。傷を覆っていたガーゼも取れ、鏡に傷を映して見てみる。傷は医療用ホチキスで留められていて、見た目はちょっとグロい。このホチキスは退院前2日間で半分ずつ抜いた。つまり、1日目にひとつ飛ばしで抜き、2日目に残りを抜く。ホチキスの針を取る専用のペンチみたいな器具があり、ほとんど痛くない。ドレーンが入っていた穴は糸で縛ってある。これは退院2〜3週後の外来受診のときに抜いてもらった。尿道のチューブを抜く時は痛いと友人などから聞かされていたが、全然痛くなかった。尿道のチューブが入っている間は、その先に繋がっている袋に尿が随時溜まるようになっていて、小便をしにトイレに行く必要が無い。これはこれで、意外と楽で良かった。

 各種チューブが取り払われ、体も自由になったものの、痛みは相変わらずで、朝など起きてからもしばらくは動けない。あまりに痛いので、しばらく痛み止めの錠剤を出してもらって飲んでいた。それでも退院するころには、だいぶ動けるようになって来た。

 手術後約1週間で退院。ドレーン跡の抜糸が済むまでは風呂につかることはできず、シャワーのみ。まだまだ痛い。相変わらず腹筋に力が入らず、寝た状態から起き上がるのが大変だ。胸から腹にかけての神経痛はひどくて、シャツが触れているだけで痛い。歩くと振動が響いてまた痛い。しかし手術前には頻繁に出ていた咳は手術後はぴたっと止まり、退院してからは発熱も無い。あとは痛みが引くのを待つのみだが、これにはだいぶ時間が掛かるようだ。そもそも手術後にこういった神経痛が残るとは知らなかった。傷の痛みが引けば終わりだと思っていたのに・・・。

 術後3ヶ月ほどで痛みは半分程に減ったが、その後は更に3ヶ月経った現在もほとんど変化無し。相変わらず痛い。傷の部分はほとんど痛くないし、骨折の痛みはもう無いのだが、例の神経痛はあまり変わらない。傷の下の方と、左側の胸から腹までがビリビリ、ジリジリ、ヒリヒリと常に痛い。まあどうしても我慢できないほどでもないので、特に何もしていないが、痛いのはやはり不快である。この痛みはもう治らないんじゃないかという気がする。次の外来受診予定は6月。レントゲンを撮り結紮した血管部分が動脈瘤になっていないか診るらしい。

 以上が僕の場合の肺分画症の症状と手術前後の様子です。肺分画症は割と珍しい病気らしく、東大病院でも肺分画症の手術は年に1度あるか無いかだそうです。僕の体験記がこれから手術を受ける人の不安を多少なりとも解消できればと思います。念のため言っておきたいのですが、僕には専門的な知識は無いので、ところどころ間違っていることもあるかもしれません。あくまで参考にする程度にしてくださいね。



 手術から2年ほど経ちました。最初の1年は3ヶ月おきに、その後は半年ごとにレントゲンを撮って動脈瘤が出来ていないかなど経過観察をしていましたが、先週久しぶりにCTを撮って、今日(2012年12月11日)結果を聞きに行って来ました。結果は異常なし。とりあえずほっと一安心。これでもう通院しなくていいそうです。胸の神経痛は相変わらず残っていますが、2年に渡って通った東大もこれで卒業ですね(笑)。